薔薇の落日












以前の記憶を頼りに訪れたキッチンは、部屋よりも寒かった。
ロシアはそのことに不満げに眉を寄せたが、イギリスは気にせずに水を沸 かし始める。
湯が出来る間に紅茶の葉を棚から取り出して、ポットとティーカップを用 意した。

程なくしてケトルからは湯気が立ち上る。
シュンシュンと音が鳴るほどになったそれを、イギリスはまずはティーポットに入れカップにも注いだ。
ふわりと湯気が出来ては消えていくのを、ロシアは黙って眺めている。
あれに触ったら温かいだろう、とそんなことを考えていればイギリスはもう紅茶をカップに注いでいるところだった。

コポコポと小気味いい音を立てながら、カップに紅茶が満たされる。
静かに目の前に置かれる紅茶。
湯のおかげで部屋が少しは暖まったらしい。
カップを持つ手はきちんと動き、取っ手に添えた指からはじんわりと紅茶 の熱さが伝わってきた。

赤茶色の綺麗な水色にロシアは頷いたが、次に視線を移したティースプー ンは空だった。
紅茶と共に出されたのはミルクとシュガーでロシアの望む物はない。



「ねぇ、ジャムは?」
「そこに砂糖出しただろ」
「僕、ジャムのがいいんだけど」

そう言うロシアに、イギリスは不機嫌さを隠しもしない鋭い視線を投げつ ける。
けれどロシアはにこにこと笑ったままだ。
両者、無言の睨み合いを続けて部屋の中は雨音が支配する。


いつまで続くともわからないそれを、先に放棄したのはイギリスだった。



「――…ジャムはねぇんだよ」
「へぇ珍しい。君の家保存食溢れてるのに」
「こないだ、のでほとんどもってった。俺が、兵士達の分減らすわけには いかねぇし俺が自分の分どうにかすりゃ、俺の分は誰かに回るだろ」
保存食って言っても、手作りはそんなにもたねぇし。

紅茶に手を着けながら、イギリスは歯切れ悪く答える。
なければないで、それなら諦めるのにと思ったロシアは続いた答えに納得 した。
確かに、あまりロシアには伝えたくないことかもしれない。

紅茶のおかげか、それとも言いにくかったせいか。
少しだけ赤味を宿したイギリスの顔を見やって、ロシアはすっとキッチン の端を指さした。



「なければ作ればいいじゃない」

ロシアの指さす先には、林檎が数個転がっていた。












「なんで俺がっ……!」
「僕が作ってもいいけど、そうしたら君のキッチンどうなるかわからない ね」

ダンダンダンと激しい音を立てながらイギリスが林檎にナイフを入れてい る。
全ての林檎をそれぞれ四つほどに割り終わって、今度は皮を剥く作業にと イギリスは映った。
口ではまだ少しばかりロシアへの不満を述べているが、その指は器用に動 いている。


「……上手い物だねぇ」
「お前も人にばっかりやらさないで、てめぇでやればいいだろ」
「冗談。やってくれる人がいるんだからなんで自分でやらなきゃいけない の。君みたいにひとりきり、なら別だけど」

瞬間、イギリスの手が止まったように見えたのはロシアの気のせいではな いだろう。
けれどいつもならば即座に向けられるだろう殺気はなく、何事もなかった ようにイギリスは林檎を剥き続ける。
赤い皮をするりするりと剥いていく様は、とても綺麗だった。
真っ赤に染まった皮をボウルに移し、白い実を顕わにさせる。
そんな動作を幾度繰り返しただろうか。
カッティングボードの上で薄切りにした林檎を、イギリスは鍋の中にと放 り込んだ。
あとは上から砂糖をかけておしまいだ。
その間二人は会話を交わさなかったが、お互い沈黙を気にしてはいない。

弱火の上に鍋を置いて、イギリスは手を洗う。
冷たい水の中に手を入れて、その中で軽く手を擦り合わせれば終了だ。
林檎を切ったべとつきぐらい、石鹸を使わずともすぐに落ちる。

イギリスのジャム作りの動作をじっと見ていたロシアは、洗い物の段階で 紅茶にと意識を戻していた。
一杯目はジャムなしに飲まなければなるまい。
それはイギリスが林檎を切り始めてから充分わかっていたことで、すっか り温くなった紅茶はカップの底に少しだけ残っていた。
ロシアはその残りの紅茶を全て飲み干して、ふとイギリスの席を見やった 。

イギリスのカップの紅茶は僅かしか減っていない。
それは勿論ロシアがジャム作りを頼んだからであるのだが、もうそのジャ ム作りは終了している。
苦肉の策、といわんばかりに被されたティーコゼーの中の紅茶は幾分まし であろうが冷めてしまうのを避け切れはしない。

早く飲めばいいのに、とロシアが後ろを振り返ったときだった。
イギリスはいまだ洗い場に佇んでいる。
その割に水音が聞こえないのを訝しんだロシアは、立ち上がってイギリス の手元を覗き込む。


馬鹿だなぁ。


そんな感想は口に出ていたのだろうか、思っただけだったろうか。
ロシアは水の中に浸したままのイギリスの手を掴みあげて、その辺のタオ ルを投げつけた。

イギリスはそこではっとしたようにロシアを見やる。
折角戻った体温は消え失せて、白い顔色でロシアを見上げるイギリスを乱 暴に押して椅子にと座らせた。
イギリスは抵抗することもなく、椅子にと腰を下ろす。
ロシアは自身の手も冷たくなってしまったことに忌々しげに眉を寄せなが ら、ストールで手を拭った。



「僕、冷たいの嫌いなんだけど」
「――…別に、ならほっときゃいいだろ」
「だってジャム作りかけじゃない。君が作らなきゃだれが作るの。僕、二 杯目はジャムでって決めてるんだから」

火にかけられた鍋はくつくつと音を立てている。
林檎の甘酸っぱい香りが辺りに広がっていて、目の前には美味しい紅茶が用意されている。
普通なら、楽しい茶会が開かれていることだろう。

もっとも、ロシアは別にそれを望んではいなかったけれど。
けれど、好んでつまらないものにしたいかと言われればまた別だ。



「……手が冷たくて、動かなかったんだ……」
「そりゃ、水の中つっこんでれば冷たいだろうね。動かなくなるだろうね 」
「なんで、動かなかったんだろう」

ぽつりと呟いたイギリスの言葉に、ロシアは眉を顰めた。
はっきりした声とは裏腹に、独り言のようなそれが気になった。
ロシアがイギリスの方を見やれば、イギリスは自分の手をぎこちなく動か して見つめていた。

ただ、動かないのを確かめているというわけではない。
その手の象る形に、ロシアは大きくため息を吐いた。


「じゃあさ聞くけどイギリス君、」
「―――――……」
「今またその場面が来たとして、君の手は動くの」


ロシアは想像しかできない。
けれどおそらく合っていると思う。
銃を持っているだろう手に、引き金にかけられた指。

きっと対峙したのだろう。
そして出来なかったのだろう。



それだけの話だ。
ロシアには、関係のない話だ。








動かない手に、雫が一粒こぼれ落ちた。
転がり落ちたそれを、ロシアは黙ってみていた。

雨音がいやに耳に響いていた。











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お待たせしたあげくもう少しだけ続きます…!
米独立戦争後の英って、やはり難しい…が、書きたい。

イギリスの林檎の季節って、夏から晩秋らしいです。
立派なフラワーガーデンがあるところには大体林檎の木もあるとのことで …。
春の庭もさぞかし見応えあるんだろうなーと思いました。
ロシア様は、白い花は好きか嫌いかわかりませぬが。
でも花なら好きかな。イギリスに怒られながら(それを気にもせず)無造 作に花を愛でるロシア様可愛いと思います。

07/11/11





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