薔薇の落日












部屋は相変わらず静けさを保っている。
正確に言えば、外の雨は相変わらず降っているし風も出てきたせいで木々が揺れている音だって部屋には響いている。

けれどそれだけだ。
確かに此処にはイギリスもロシアもいるはずなのに、人為的な物音がしない。
火にかけられた鍋も、温かな茶だって用意されている筈なのになんでここはこんなにも寒いのだろう。




ロシアは黙ってストールを口元まで引き上げた。
両手を組んで静かに擦り合わせる。
伏せた目で空になったカップをじっとみつめた。

部屋には林檎のいい香りが充満している。
けれどロシアの手は徐々に冷えているし、外の雨も止む気配を見せない。
折角美味しい紅茶で少しだけ気分が良くなったというのに、これではまた逆戻りだ。
玄関前で鬱陶しい雨を我慢していた時の不快感が、また押し寄せる。

「ねぇ、ジャム焦げるよ」
「あ、ああ」

鍋の林檎が、少しばかり変な音を立て始めたのに気づいたロシアはしれっとイギリスに声をかけた。
イギリスは慌てて立ち上がって鍋を覗き込む。
急いで木べらで混ぜているのを見ると、焦げる一歩手前という所だろうか。

ジャムが失敗しなかったことに免じて、こぼれ落ちた一滴は見なかったことにした。










「そういえばさ、」
「なんだよ」
「なんで君の家林檎があるの?めぼしい食料なんてなさそうな口ぶりだったじゃない?」

ジャムを見つめるイギリスは、また新たに水を沸かし始めた。
そろそろ良い頃合いなのだろう。
二杯目の紅茶を待つロシアは素朴な疑問を口にする。
見つけてジャムを作れと言ったのはロシアであるが、ジャムすらない家に林檎があるのはそう言えば妙な話だ。


「ああ、俺のとこは今が林檎の季節だからな」
「そうなんだ。買いに行ったの?」
「違う。薔薇が終わったから……林檎が採れるだけだ」

イギリスの言葉に、ロシアはまさかと思いながら聞き返す。
自分のことすら最低限に何もしない今のイギリスが、林檎を買うためだけに屋敷から出るとは思えない。
この雨なら尚のこと。
問えばイギリスは、ふと窓にと視線をやった。
目を細めて窓の外を見やるイギリスと同じく、ロシアも窓の外を見やる。

そういえば、ロシアが来たときからイギリスはずっと外を見ていた。
雨をずっと見つめているかと思っていたが、そう言えばこちらは庭の方向だ。


薔薇が終わった、との言葉にもう少し早く来れば良かったかなとロシアが立ち上がって庭へのドアを開く。
窓からでは、雨が邪魔をしてよく庭が見られなかった。
ドアを開ければ、寒さが部屋にと入り込む。
体を掠っていく風の冷たさに眉を寄せたロシアは、それでも外へと一歩踏み出した。
ガラスを隔てていてはあまりよくない視界であったが、小雨と呼べない雨は薔薇までを通した。


「ん――……?あれ、かな?」

ロシアはイギリスの薔薇が好きだった。
元々綺麗な物は好きであるし、華やかな色も匂いも好ましい。
終わったと言うことは残っているのはその葉だけなのだろう。
出来れば花も見たかったことであるが、次の季節のためにその生命力を蓄える青々とした葉も見るのは嫌いではない。

けれど、邪魔になれば散らすことだって別に構わない。
愛でていたその指で、花を摘むことだって何とも思わない。


けれど。





「―――…イギリス君?」





けれどこれは、違う。






「ねぇ、イギリス君」


雨に濡れるのも構わず足を進める。
長雨で濡れた庭は、足下からもロシアを濡らしていった。
庭に面したドアから薔薇まではそんなに距離があるわけもなく、ロシアはすぐに薔薇の元まで辿り着く。
薔薇の目の前で歩みを止めたロシアの足に、何かが触れた。

ああ、林檎だ。
少しだけ転がった林檎の赤さが妙に目に焼き付いた。

見上げれば、薔薇のすぐ隣に林檎の木が植えられている。



「ロシア、お前何やってるんだよ。折角ジャム作ってやったのに冷めるだろ」
「それはこっちの台詞だよ。イギリス君、何やってるの」

イギリスの声に、ロシアは振り返りながら問う。
イギリスは雨の中庭にと出たロシアに慌てるでもなく、いつもの足取りで近づいていく。
薄手の白いシャツはすぐに雨にと濡れ、イギリスの寒々しさを際だたせた。
ロシアはそのことにはどうにも思わない。
見ている自分が寒く思うのが、嫌なぐらいだ。



「何って、何も俺はしてないが?」
「だってイギリス君、この薔薇枯れてるじゃない」
「だから言ったろう。薔薇は終わったって」



イギリスはロシアの言葉に、やはりいつもの口調で返す。
問うてる真意がわからない彼ではない。

ロシアの示した薔薇に、イギリスは少しだけ目を伏せた。
薔薇の時期が終わったのではなく、本当に薔薇が終わってしまった等とまさかイギリスが言うとは思わないだろう。

けれど確かにイギリスの言葉に嘘はなく、ロシアは眉を寄せた。
ロシアが薔薇に触れば、薔薇は余計にくたりとその姿を変える。

長雨のせいだけではないだろう。
花が終わったとしても、葉はまだ茂っていて良いはずなのにそこにある薔 薇はどれもが茶味を帯びて小さくしぼんでいた。
花も、すっかり終わると言うには個体差があるはずなのにどれもが茶色く地にと落ちてしまっている。

イギリスがいなかったとしても、常の彼ならばそれなりの対策をしているに違いない。
それなのにこの薔薇の有様は、どういうことなのか。


それは、イギリスが何もしなかったからで。



「……ああ、確かに君は言っているね」



先ほどのイギリスの言葉の真意が、わかってしまった。
ロシアは終わってしまった薔薇を握りしめる。
身を守るはずの棘すらもうその意味をなくし、僅かにロシアに抵抗を示すだけだ。

別に薔薇をどうしようとも、ロシアは何も思わない。
けれどそれは、ロシアの意志によってどうにかなる場合のことだ。


美しい庭を誇るイギリスの屋敷で。
その主が、薔薇をどうにかするなどとそれはロシアの考えにはなかった。
だからだ。
だからこんなにも、見窄らしい薔薇を見るのが悔しくて仕方がない。






「でも、薔薇を枯らす意味がわからない」
「だって、俺の薔薇は終わった」

ぽつりと呟くイギリスの声は聞き取りにくい。
雨が彼の言葉を吸収してしまう。
ロシアは、苛立ったように眉を上げた。
イギリスは、そんなロシアの向こう側を見やっている。



「俺は薔薇が好きだ」
「なのになんで駄目にしたのって、僕は聞いてるんだけど」
「好きだった。本当に好きだったんだ」



雨が激しさを増したように空から落ちてくる。
辺りの木々の葉を鳴らす音が大きくなった。
薔薇の近くで、林檎の木が頭上にとあるロシアは少しだけ雨から守られる。
けれどそのロシアよりも屋敷側にいるイギリスは完全に雨に晒されている状態だ。
容赦なく雨はイギリスにと降り注ぐ。
ぼたぼたと髪からも顔からも流れていく雨は、留まることを知らない。



「けどもう、俺の手はいらないって、」
「…………………」
「本当に、大事にして、たのに…っ」



イギリスの顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。
感情表現が激しく思えるイギリスだが、それが発揮されるのは主に腐れ縁の友人にか植民地という名でずっと大事にしてきたあの子どもにか。

それ以外の相手にならば涼しい顔を通すのも得手である。
激しい憎悪を向けられることがあれば、興味のなさそうな顔もされたこともある。


けれど、こんな表情のイギリスは知らない。
こんな顔を、ロシアにするイギリスではないのだ。



その証拠にイギリスはロシアを見ていない。
ロシアの向こう側の薔薇の、さらに向こうを見ているのだろう。


眉を寄せて、唇を噛み締める。
ぎゅっと握った手は所在なく自らにひたりとくっつけて。

ぼろぼろと零れていく雨が、余計に彼を歪ませていた。





「俺の薔薇は、なくなったんだ」





激しさの増した雨の中で、その言葉だけははっきりとロシアに届いた。
イギリスは、いつのまにかロシアを見据えている。
目を細めて眉をきつく寄せて。
幾筋もの雨が彼の目を頬を顔中を流れていく。


深い緑をした瞳は雨濡れた薔薇の葉色とそっくりだった。




「けど、ここに林檎はあるよ」
ロシアは腰をかがめて足下の林檎を手に取った。
しっかりと実の詰まっている林檎だ。
片手で握ってイギリスの眼前にと晒す。

イギリスは雨のせいで存分に濡れた瞳でぼんやりと林檎を見た。
色のなくなった唇が痛々しい。
そうでなくとも貧相な体は見ているだけで寒そうだ、と思うのに。

何をやっているのだろう。
薔薇が終わっただなんて、本気でイギリスは思っているのだろうか。





「薔薇が終わっても林檎の季節だ。もう少しすれば向日葵の季節だし、向日葵が咲けば紅葉も待ってる。冬が来れば庭は静かになるだろうね。けど」
ロシアは薔薇を振り返る。
茶色くなって枯れてしまった薔薇。
表面だけ見ればそうであろう。

だけど、ロシアは知っている。
憎らしいぐらいの、強靱なその精神を知っていた。





「けど、また来年薔薇は始まるのに。君は一体何を言ってるの?」





根も駄目になっていれば、薔薇は細く痩せ倒れているだろう。
けれどそうではなく、まだ薔薇は姿を保っている。
ロシアはイギリスを静かに見据えた。
イギリスは、今初めて気づいたかのように、目を丸く見開いている。





「僕ね、君は嫌いだけど君の作る庭は好きなんだよ。だから、今度来るときは庭、直しておいてね」
「―――……ここは俺の屋敷でっ、お前のもんじゃねぇよ!何好き勝手言ってやがる!」
「今の君なら、簡単にロシアにできそうだけど?でもね、まぁ今日の所は林檎ジャムのロシアンティーで手を打ってあげる」
可哀想だし。


そうにっこり笑うロシアに、イギリスがまた何か叫ぶ前にその口に林檎を押しつけた。
そのまま屋敷にと戻るロシアを、イギリスが後ろから追ってくる。





ああ、ようやく少しだけ気が晴れた。
そんなロシアの気持ちを汲み取ったかのように、空の片隅がうっすらと明るくなっている。
この分なら、明日は雨が止むだろう。







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ようやく終わりました。
イギリスが静かだったり普通だったり(見える)のは精神のブレがかけたらなーと思ってたのですがんー、見事玉砕…?orz。

独立戦争は思うところが強いのもあるのですが、ロシア様とイギリスの関係性を考えて絡めるとやはり難しいです。
でも挑戦したくなる(笑)。

ロシア様はやはり綺麗な物好きだと思うのです。
で、自分以外の人が綺麗な物を駄目にするのは嫌で、自分が黒くするのは構わない感じ。
絶対ラトとかそうじゃねぇのかと思う。

ロシアとイギリスはまだまだ書き足りないのでぽつぽつまた書いていきたいです。この二人やっぱ楽しいです。

07/11/19





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