よく手入れされている木製の戸は、手をかければからりと滑った。
一歩足を踏み入れればひやりとした空気が身体を包む。

その涼しさは人工的なものではなく、自然をうまく利用したもので心地よ いその冷たさにほっと息を付いた。
あの厳しい日差しから逃れただけでも大分違う。


手にした袋を握り直して、家の奥へ声をかけようとした。
しんとした空間に、自分の声を響かせるのをほんの少し躊躇した矢先だっ た。


目の前に現れる、和服姿の可愛らしい少女。
提げた袋を指さして、嬉しそうに笑う。




「―――…好物か?」

問えば少女は勢いよく頷いた。
切り揃えられた(と、言うのは少し語弊があるかもしれない)髪がひょこ んと跳ねるのに目を細め、その頭を撫ぜてやる。




「良かった。お前の分も持ってきたんだけど、好物かは知らなかったし。 冷やして貰って、あとで一緒に食べよう」
な?


そう言えば、少女は少しだけ寂しそうに笑った。
それは一瞬のことで、彼女はすぐにまた勢いよく頷いたのだけれど表情の 変化を見逃すことはしなかった。


一緒に食べることは叶わない。
きっとそんな思いを、抱いているのだろう。



けれど知っていてそう言った。
一人で食べることなど、寂しいではないか。
この家に一人でいるわけではないのに。

他でもないこの日を、ひとりで、だなんて。








「――…さて、上がっても良いものか」

この家の主は玄関先の出来事に気づいていない。
屋敷は広いから当然のこととしても、なんとなく声を掛けるタイミングを 掴み損ねてそっと息を吐けば、ついついと裾を引っ張られた。
少女が、小さな手で服を掴みながらにっこりと笑って見上げている。



「ああ、そうだな」



確かに、彼女もこの家の主だ。
許可を得られたことに、微笑み返す。
彼女に引っ張られる勢いで家にと上がる直前に、急いで靴を脱いだ。

良く磨かれた木目が綺麗な廊下を、バランスを取り損ねて滑りそうになれ ば少女はまた笑う。
少しむっとして手を挙げれば、彼女はぱっと手を離して先を駆けていった 。


追いかけようとして角を曲がれば彼女の姿はすでに見えない。
こうなってしまっては、こちらから見つけるのは酷く困難だ。
また彼女から姿を見せてくれるだろうか、と思いながら廊下を歩く。

もうひとりの主に、挨拶をせねばなるまい。
滑るように歩けば足音はほとんど立たず、雨戸を開け放たれた廊下は外の 蝉の声だけが響く。



ジージーと鳴いては、飛び立つ音が聞こえて庭を、庭から覗く木々を見や った。
昼間だ。
外はとても明るい。
けれど屋敷内は、外の明るさと庇が落とす影で暗かった。
暗いと言うには、光は差し込んでいるだろう。
しかし対比で見る限り部屋は暗く、静けさで満たされていた。

風を通すために部屋の襖も開けられている。
いくつも繋がった部屋の向こうに置かれた日本刀。





一寸の隙もなく、飾られているそれは、確かあの頃彼が肌身離さず持って いた物だ。
記憶力は悪くない。
そして目も悪くない。


凜、とした佇まいは主を彷彿とさせた。





ああ、そういえば主はどこにいるのだろう。
いまだ姿の見えない主に、そういえば自分も歩を止めている。
これでは見つかるわけもあるまい、と思いつつ見つけたくないのもあるの だろうなと口端をゆうるりとあげた。





じわじわと暑さがまとわりついてくる。
外に比べれば涼しいとはいえ、着ているものがものだった。
堅苦しい、ときっと言われるのだろうが他国に会いに行くのだから正装は 当然であろう。(自分にとっては正装の内に入らないが)
首元を少しだけ緩めて息を吐く。

遠く、カコンと音がしてそれに引かれるように歩みを再開させた。
確か鹿威し。
水を上手く使ったからくりは、この暑さにはひどく涼しく見えるだろう― ―…。
そんな期待を持って廊下を進んでいく。




わんわんと、みんみんと。
廊下を進む少しの時間にも、蝉は声高々に鳴いていた。

この暑さの中良く鳴くものだと感心すら覚えるが、普通蝉は、真っ昼間に は鳴かないはずだと思い出す。
蝉とて鳴くのは朝方や夕刻など、比較的涼しい時間帯を選ぶのだと主が言 っていた。
それは道理に適っているが、では今この自体はどういう事であろうか。




日常から切り取られたかのような感覚に囚われる。
この屋敷にしてもとても静かで、外だって、蝉さえ鳴いていなければえら く静かなのではないか。

昼間なのに、夜中のような、そんな不可思議な空間。
ここはかつてから知っている彼の家ではなくて、よく似た別の家なのかも しれない。
彼女がいるのにおかしな話かもしれないが、彼女なら家から家へ渡り歩く ことも容易であろう。

ならば本当に、別の場所。
それも面白いかもしれないな、と思いながら尚も進んでいく。

また、コォーンと鹿威しが鳴った。
蝉が頭上で降り注ぐように鳴いている。







次の角を曲がれば、切り取られた日常の片隅に主はいた。
傍に置いてある蚊取り線香の揺れる煙が、日常にと戻した。












そう、何も変わらない日だった。
あの日も、日常が訪れるはずだったのだ。

カコン、と音を立てる鹿威しの水がやたらに青く目に映った。

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07/08/09





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