恋だとか愛だとか。
そんな言葉を、あの感情に付けるのだとすれば。










みなしごワルツ













「日本では、初恋は実らないって言うんです」
「それは好きな人が自分に恋をしていても、互いに初恋であれば叶わないのか?」
「さぁ、それはわかりません」


そう言うと日本はふふっと少し首を傾げて笑った。
いつもの控えめな笑顔。
その曖昧さは日本の良い点なのか悪い点なのか、自分にとってはあまり好ましくないけれどとフランスは箸で天ぷらを摘んだ。
日本料理の繊細さは、仏蘭西料理とまた違って面白い。
さくりとした歯触りと、海老のうまみを楽しみながらフランスは日本の言葉を反芻する。
いきなり、に思える話題は付けたテレビから発された言葉からだ。
明日の天気が気になる、とフランスが言えば日本が調べましょうかと食事中すいませんと礼儀正しくテレビの電源を入れた。

明日は日本で会議がある。
だからフランスはこうして日本に訪れ、どうせだからと己の趣味を満喫するために日本の家にまで押しかけた。
急な訪問にも(一応事前連絡はいれたことであるし)日本は嫌な顔ひとつせずに、まずはと昼食をもてなしてくれた。

腰のある日本蕎麦に、丁寧な下ごしらえのされた天ぷら。

日本食もフランスの好きな文化の一つであるからして、フランスはこうして日本と食事の席に着いている。
他愛のない話題の中で、明日着ていく服が気になった。
暑さと寒さが微妙な時期の日本である。
雨が降れば寒いし、そうでなければ暑い。
ジャケットは薄手にするべきかどうかと問うフランスに、日本は冷暖房は完備してありますけど確かにあまり頼らない方が良いかもしれませんねと頷いた。
きっとイタリアが最近真剣に悩まされている世界全体の気候のせいだろう。
フランスや、その隣国も決して人ごとでないのだが、いかんせん世界の頂点がその問題には非協力的だった。
世界のヒーロー、を名乗る彼は身近な自分たちの危機には全く手を差し伸べない。



「明日、空調だけでいいぞ」
「アメリカさんは暑がりですからねぇ…。雨が降ってくれればいいかもしれないですね」

フランスが本気を滲ませながら言う言葉に、日本はまた曖昧に笑ってフランスの言葉には返さなかった。
そしてフランスも雨が降ればいい、という日本の言葉には何も言わなかった。
折角こうして日本に来ているのだから、良い天気を味わいたい。
それはきっと彼も思っていることだろうと思って、フランスはふと口元を緩めた。
こうやって考えてしまうくらいに、彼の存在が自分の中に浸透している。
負の感情も正の感情も両方を兼ね備えて彼が自分にとってどんな存在か、というのは言葉に出来ないだろう。
敢えて、この感情に名前を付けるのだとすれば。
それは。




『初恋は、セツナイ夏の味がしました』




付けたテレビが比喩満載の言葉をフランスに届ける。
初恋は切ないのかと、なんの気なしにフランスが口にして返ってきたのが初恋は実らないという日本の言葉だった。

初恋は実らない。
初恋同士であればいいんじゃないかと思ったが、確かに取り巻く状況によっては初恋同士であっても叶わないことがあるだろう。



奥が深い、と今度は椎茸に箸を伸ばすフランスに日本が問うた。





「フランスさんの初恋は、どなたですか?」
「日本の初恋は誰なんだ?」

にこりと笑っている日本の笑顔は先ほどとは違う種類の物だった。
フランスは同じように笑みを浮かべて間髪入れずに返す。

日本とのこういうやりとりは、嫌いじゃない。
適度な緊張感というのは互いに長くやっていくのに必要不可欠だ。




「質問に質問で返すのは反則ですよ」
「そもそもそういう質問をするのが無粋だと思うけどな。言ったって日本はきっとしらねぇ…こともないか、」

日本がまた切り返してくるのに、フランスは尚も口端をあげた。
日本は引きこもっている時期が長かったから、と思ったが世界的に有名なあの人は日本の耳にも入っているだろう。
勉学に関して日本は閉鎖的な時から優秀だった。
世界が広がればその分だけ素早く吸収していく。
本当に厄介だとフランスが苦笑すれば、日本は湯飲みを手にして湯気の向こうで笑っていた。



「では初恋は私たちと同じ存在の方ではないということですね」
「逆に日本は俺らの仲間だな。俺が知らない奴、っていうのはまずいないし」



そういうフランスと、日本の視線がぴたりとあった。
互いに瞬間表情をなくしていたのは、やはりお互い様であろう。



ふふっ。
ははっ。


どちらともなく一瞬にして笑顔に戻る。
穏やかな笑い声が、部屋には響いていた。















「っていうことを日本と話してたんだけど、お前日本の初恋誰だと思う?俺は中国あたりが怪しいと思うんだけどなー」
「……そんな下らないこと話しに来たのなら今すぐ自分の部屋へ帰れ俺は酔っぱらいの相手するほど暇じゃねぇ!」


部屋に押しかけてきたフランスを、イギリスは追い返そうとして失敗した。
丁寧に部屋をノックされた物だから、ついドアを開けてしまったことが敗因だ。
悪質訪問販売員のように、占めようとしたドアの僅かな隙間に足を突っ込んでフランスは部屋にとなだれ込んでくる。
ふらふらとした足取りでベッドにと倒れ込んだフランスは、文句を言いに来たイギリスを見上げてにやりと笑った。
酒臭い。
イギリスは眉を盛大にしかめながらフランスをベッドから引きはがそうとするが、いかんせん酔っぱらった人間の体は重い。
そうでなくとも体格では負けてしまっているイギリスには中々の重労働だ。
フランスの手に握られている日本酒の瓶にまた眉を寄せて、イギリスは口を開いた。


「なんだお前、珍しい物飲んでるんだな」
「日本の家遊びに行ってきたからなー。お前は上司と日本観光してただろ?」

へろ、とそう言って笑うフランスにイギリスは頭が痛くなりながらも冷蔵庫からペットボトルを取り出した。
ワインやらなにやらを上手く飲むフランスは、酔うことはあまりない。
酔っても少し足下がふらつくぐらいで、蛇行することも倒れ込むことも珍しい。
イギリスが先に酔ってしまう、ということもあるだろうがそれを差し引いても珍しいこの姿は飲み慣れない酒だから、なのだろう。
意外と度数の強い日本酒は、飲み口がよいと水みたいで飲み過ぎてしまう 。
一回それで酷い目にあったイギリスは、一つため息をついてペットボトルをフランスにと差しだした。
よく冷えたミネラルウォーター。
フランス産と書いてあるラベルに目を細めながら、今にも閉じてしまいそうな目の上にとボトルをくっつけた。



「冷て、」
「飲め、明日二日酔いで会議とかなんてありえねぇだろ」
「飲ませろよー?」
「ざけんな気持ち悪ぃだろこの酔っぱらい」
「そうですよー酔っぱらいですよ〜」

そう言ってまた笑うフランスに、イギリスはペットボトルを投げつけてベッドを離れた。
備え付けの簡易キッチンで、水を沸かしている途中だったのだ。
しゅんしゅんと音を立て始めているやかんを火から下ろして用意してあったティーポットに注ぐ。
こぽこぽと心地よい音と共に、湯気が立ち上った。
ふわりと視界をゆるく遮って、その湿り気にイギリスは目を細める。


「初恋、ってあいつ、今更そういうこと言ってどうするんだか…」


ポットが温まったのを確認して一度湯を捨てる。
茶葉をポットに放り込みながら、少し悩んでもうひとさじ加えた。
今のフランスに紅茶の味がきちんとわかるとも思えないが、酔いを覚ますには丁度いいだろう。
そんなことに使うのもあまり好ましくなかったが、このまま寝られても困るだけだ。
イギリスは息を吐きながらポットに再度湯を注ぐ。

乾燥しているのだろうか。
温かい湿り気が心地よくて、イギリスはそっと額に手を伸ばす。
湯気が触っていった肌はしっとりとしていて先ほどまでのかさついた感触はなかった。
紅茶が蒸されるのを待って、イギリスは指先をそっと擦り合わせる。
冷暖房は完備されているのはいいのだが、喉が乾燥して敵わずイギリスはずっと暖房を切っていた。
そのせいだろう。
冷えた指先はうまく動かず、零した茶葉が散らばっていた。

はぁ、と息を吹き付けてイギリスは目を閉じた。
腕に付けた時計の、カチカチと秒針を刻む音。
紅茶の香りが突然の訪問者のせいでささくれ立った気持ちを落ち着かせていく。


「……初恋、か…」


フランスと日本の初恋は誰なのだろうか。
話を聞いて確かに気にはなったが、話す気のない相手に聞いてもどうしようもないし影で色々考えるのもくだらない。
でもフランスの好きそうな話ではある、とイギリスは考えた。
自分の初恋は誰であるだろう。
きっとフランスは、日本の話を踏み台に自分にまで聞いてくる予定だ。
イギリスの嫌そうな顔を楽しそうに見やるフランスが容易に思いついて、折角落ち着けた気分がまだ乱されそうになるのに舌打ちをした。


初恋。
はじめて好きになった人。
はじめて執着をした人。


ぼんやりと考えながらイギリスはカップに紅茶を注いだ。
綺麗にでた茶の色に満足しながらトレイにと移す。
キッチンから出ると少しだけ寒いと感じる部屋で、フランスはまだベッドに倒れ込んでいた。



「おいフランス起きろ、折角紅茶淹れてやったんだから飲めよ」
「お兄さんお酒が良いー」
「馬鹿か。早くしないと冷めるだろ」

テーブルに紅茶を置いてフランスを蹴飛ばした。
フランスは不満そうにしながら顔を見せる。
のろのろと起き上がるのを確認して、イギリスは椅子にと腰を下ろした。
温かい紅茶が体に染み入っていく。
静かにカップを傾けるイギリスに、フランスもゆっくりカップにと手を伸ばした。



「あー…お兄さんアールグレイのがよかったなぁ」
「味なんて今まともにわかるのかよ酔っぱらい」
「そうですよーどうせ酔っぱらいですよー」


くん、とカップの中身を確かめるフランスにイギリスは眉を寄せる。
文句だけは立派な酔っぱらいに、憎まれ口を叩けばさらりと肯定された。
イギリスはその言葉に小さく舌打ちをして、湯気の向こうのフランスを見据える。



「酔っぱらいは、酔っぱらってないって言うもんだ」
「……へぇ、お兄さん素直だからー」
「わざわざ酔っぱらいの振りして、何考えてる」

イギリスの言葉に、けれどフランスは笑顔を浮かべたまま表情を変えない。
イギリスはしばらくその顔を見やっていたが、やがて諦めたように目線を逸らした。
紅茶から湯気はもう上っていない。




「……初恋は叶わないんだってさ」
「だからなんだよ」
「俺、初恋じゃなくてよかったなぁって、思って」



そう言って伸ばされた指先の熱さに体が震えた。
冷えた頬を長くて器用な指がそっとなぞっていく。

確かにそれはいつかの指の動きと重なって。
イギリスは喉を鳴らした。




あの感情を。
あの時知った気持ちに名前を付けるのだとすれば。
それが。







「なら、」

かしゃんっとソーサーとカップがテーブルの上に叩き付けるように置かれる。
飲み干されていた紅茶は零されることはなかったが、その衝撃にカップは壊れそうなぐらいでフランスが思わずそちらに目をやった瞬間にイギリスは立ち上がっていた。

今にも泣きそうな緑の瞳は、一体何を考えていたのだろうか。





「なら、俺の初恋は叶わないんだな」






今日はお前の部屋を借りる。
お前はこの部屋で寝ればいいと、言い捨てて去ったイギリスの言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
ようやくわかって立ち上がる頃には、冷え切った紅茶とルームキーが抜か れた上着だけがフランスに残されていた。












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単発にしないで続き物にした方がわかりやすかったかなと今頃反省。
フランス兄ちゃんの初恋はきっとイギリスではないだろうけどイギリスの初恋がフランス兄ちゃんだったらいいなぁとか思った話です。
すれ違い両思い大好きです。(ええー)


07/10/08





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