静脈を辿る



「ねぇ君うちに来る気ない?」

そうナンパしてきたのは、銀髪の美青年。
これが美少女であれば考えるのだが、そうでなくとも彼は賢木の守備範囲 をとうに超えている。

賢木は集中するためにかけていた伊達眼鏡のフレームに手をやって、資料 に目を落とした。
ここはバベルの医療研究課であり、賢木個人に与えられている研究室だ。
夜も更けきったこの時間の訪問者。
不審だと賢木が判断すればすぐに警備員が訪れる。

さてどうするかと、賢木は資料を目で追った。
不審、と言うよりもこのバベルの特別監獄から抜け出した脱獄犯である見 た目青年の彼を、見逃すわけにはいかないのだが。
だが今はこの資料を読んでおきたいし、そもそも賢木一人で太刀打ちでき る相手ではない。

無駄な労力は使わないに限る、とそろそろ限界の体力と相談して賢木はひ とり頷いた。


「それは、オーケーととっていいのかな?」
「いいや?いまどきそんな下手なナンパに付いていく奴はいないだろうよ 兵部京介サン?」


賢木の動作を見て取った兵部が、にっこりと笑う。
座ったままの賢木が、目の前ですばやく手を左右に動かすのを兵部は面白 そうに見やった。
賢木は、そんな兵部を首を傾げて観察する。


「じゃあ、今時のナンパってやつを教えて貰えるかな。賢木修二クン」
「少なくとも、人が仕事中に押しかけてくるのはいただけねぇなぁ。しか もこんな夜更けに」
「だって昼間じゃ君、中々捕まえられないんだもの。邪魔者も多いことだ しね」


言葉を交わしながら、考える。
なぜこの兵部京介がいま自分をナンパしに来ているのだろう。
彼がザ・チルドレンーー特に明石薫を、女王と呼び、自らが率いるエスパ ー集団パンドラにことあるごとに誘いをかけているのは知っている。
そしてチルドレンの担当指揮官であり、賢木の友人である皆本光一に興味 を示していることも。

何度か見かけたことはあるが、ほぼ興味の対象外であった賢木に今更なぜ 声をかけるのか。



「興味がなかったワケじゃないよ」
「あってもあんま嬉しくねぇけどな」
「もう少し早く出ていればよかったんだけどね。君のためにそこまでする こともないし…、ただ、あの頃の君に声をかけていれば間違いなく君はこ っち側だったと思うんだけど」
違うかな。



兵部は強力な複合能力者だ。
複数能力を持つものは、基本的に個々の能力はそこまで高くないのだが兵 部だけは別だった。
いくつもの能力を兼ね備え、そしてそのひとつひとつの超度がすでに計測 不可能だ。
テレパスを使った会話はけれど不快ではない。
こちらの言いたいことを過不足なく受け取り、適切な答えを返してくれる のは楽だ。

けれど、内容には思わず眉を寄せる。




「……俺さぁ医者になりたかったから、多分断ってたと思うぜ?」
「そうかな。君は今でこそ色々覚えたみたいだけど、昔は女帝より劣悪な 環境だったんじゃない?なにしろ一斉ESP検査で引っ掛かって、その後も学校通ってて、でも周りに同じ超度の能力者もいない、じゃ理解者は全然 いなかったわけだし」


兵部が強力な能力の持ち主であろうと、彼の作る組織が能力者にとって素 晴らしかろうと最低限の知識は学ばなければ身につかない。
流石に医学知識を学べる環境ではないだろうと容易に予想は付く。
パンドラにいる能力者を多くは知らないが、賢木の知っている範囲では常 識すら知らない少女だった。
望めば学校に通わせてくれたかもしれないが、果たして一度そちらへ足を 踏み込んでからまた外へ出る気力はあっただろうか。


「理解者って、いると嬉しいだろう」
「まぁ、嬉しくないって言えば嘘だな」
「『君』の理解者が、うちには多いと思うよ」


兵部が、すっと賢木の眼鏡を手に取った。
賢木は咎めるでもなく、その動作を静かに見送っている。
透視ているのだろうか。
賢木はぼんやりとそんなことを考えながら、軽く息を吐いた。
兵部の言うことは的外れではない。
「現在」の賢木なら、兵部の誘いを断れる。
けれど「あの頃」の賢木は、揺れたに違いない。
同じ能力者。理解者。差し伸べられる手。
それはどれだけ魅力的なことだろう。

そんな中に足を踏み込めば、きっと二度と外へ行こうなんて思わないぐら いに。
居心地の良い空間だったろう。



「それに君の能力、うち向きだと思うんだけどねぇ…」
「あんたがいればほとんどがこと足りるだろ?」
「限界はあるさ。それに痕跡を残さず処理するのって、僕らだって難しい んだよ。僕ら用にそっちは色々検査機器用意してるし」

兵部が眼鏡をかけて、今度は賢木自身に手を伸ばす。
流石に通しては難しかったのだろうか。
それがわかっていながらも、賢木は逃げなかった。
兵部に透視られても、おそらく表面しか読み取れない。
今は会話によって表面に出てしまった、普段はしまっている部分があるが それぐらいならよしとしよう。


「君のその考え方は、やっぱりうち向きだって」
「そうかねぇ…?」
「生体に関してのサイコキネシスと高度のサイコメトリー。それ、とって もいいよね。ほら、僕の体も言うことを段々効かなくなってるからさぁ主 治医がいてくれるとすごく助かるんだ」


兵部の言葉は嘘ではない。
兵部が触れた部分から、賢木にも考えが読み取れる。
たた全てではない。
賢木の表情が歪むのに、兵部が笑った。



「ね。人を救うことを出来る能力は、逆も簡単にできるんだよね」
「………俺等の能力は、皆そうだけどな」
「けど、バベルの中では異色になる。君のしている仕事を「全て」知って いるのはどれぐらいいるのかな。秘密を抱えるのは大変だろ。うちなら、 共有できるよ」




兵部の言葉に、賢木は瞑目した。
きっとわざとだろう。
耳元に囁くように告げられた言葉は、賢木を揺らした。

脳裏に鮮明に浮かぶ風景。
人体を隅々まで透視る。
全て見通した後は、選ぶだけだ。
血管にほんの少しの空気を送るでも良いし、心臓を暫く止めるでも良い。 脳への血流を止めるのも良いだろう。
それだけで脆い人体は簡単に機能を停止する。

エスパーと言えども、それは同じだ。





「それはそれは…魅力的だな?」
「そうだろう?」
「でもあんたんとこ俺が行くとさ、あんたの大事な女王達を診てやれる奴 がいなくなっちまうぜ?特に薫ちゃんな。ブーストのことはあんたのが知ってるんだろ。あれは連発していいもんじゃない。能力に体が追っついてないから、あちこちで数値が乱れてる」

賢木は手にしていた資料を指で叩いて、兵部に掲げた。
きっとこの資料も目的のひとつだったのだろう。
今ブラックファントムの催眠を解けるのはザ・チルドレンしかいない。
その要である薫の体に出ている異常指数。
医療研究課は総出で原因を究明している。
特に賢木は、その腕を必要とされてここ数日は研究室に篭もりきりだ。

何よりも大事な女王を、救える可能性の高い賢木を連れ去ってどうするの か。
賢木は少しだけ口先をあげて兵部を見やった。
兵部は、可愛らしく口元に指を当てて真っ直ぐ賢木を見やっているが、不意にぐいっと上体を賢木に近づけて、ちょん、と指を賢木の唇にあてる。
吐息がかかる距離で兵部は言葉を続ける。



「だから、君がいるんじゃないか」
「……………」
「うちにくればこんな生ぬるい究明以外にも色々出来るし、何よりも君が いないバベルで彼がチルドレンに無茶をさせるかな?君の生体コントロー ルは不安定なところもあるけれど、それでも生命維持は確実に出来る。あ の坊やは無意識に君を頼ってるだろう。それになにより、ね」

賢木は椅子の背にぴったりと体を密着して、ほとんどのし掛かっている上 体の兵部から少しでも距離を取ろうとしているが、意味はなしていない。
それどころか肘掛けにかけた両手に兵部の手が重なって、彼の思考がどん どんと入り込んでくる。
まずい、と思うがいまさらリミッターを付けられない。
賢木がリミッターを外しているのを承知で来ていたのだろう。
読まれるためでなく、読ませるために。

兵部ほどの力の持ち主が揺さぶりをかければ、賢木とて足場が揺らぐ。
そんなときに強制的に思考を流されれば、読まざるを得ないのだ。
能力が高いことを逆手に取られた。
賢木は一気に送られてきた情報に瞬間眩暈を起こして、上体を倒した。
それを受け止めたのは、目の前にいた兵部であり彼の腕の中に収まる形に なった賢木は唇を噛んだ。









これ以上は危険だと、全身が叫んでいる。
居心地が良すぎる、彼のところは。
彼の腕の温もりは、なんでこんなにも染み入るのだろう。




「内々に処理するためには君が必要なんだ」
「……………」
「ブラックファントムと、チルドレンを戦わせなければ女王は無事だろう ?僕だって出来れば助けたい。でも、女王が危ないって言うなら、僕は選 ぶ」


兵部が優しく賢木の頭を撫ぜながら、語りかける。
賢木にやらせようとしていることはこの上なく非道なくせして、この手は とても温かい。
賢木は目を閉じたまま彼の声を静かに聞いている。




「早く君の力をもっともっと伸ばしたい。仮死状態ならば僕にも催眠を外 すことが出来るかもしれない。仮死状態を維持できれば、時間が出来る。 対応策が出来るかもしれない」




そう。
この男は能力者にとって希望。
賢木は分かる。
能力者だから。
今の時点で洗脳を解けるのはチルドレンのみ。
チルドレン以外がブラックファントムに対抗するためには殺すしかない。
それを兵部は少しでも回避しようとしている。

賢木を使って、あるときは殺しあるときは体の機能を止めさせあるときは 植物人間にさせながら。


そしてそれを、共有しようと言っている。





ああなんて。
居心地が良いのだろう。







「………けど、さ」

賢木は兵部の体に手を突いて、ゆっくりと上体を起こした。
彼のあたたかい腕の中から抜け出して、笑ってみせる。

思い出すのは彼の笑顔。
一番最初に手を伸ばしてくれた、大事な彼の顔。








「そっちには、皆本がいない」








兵部が目を見開いた。
一瞬のことだったけれど、意趣返しが出来たことに賢木は満足する。
兵部は付けていた眼鏡を外すと、つまらなそうに一歩後ろに飛んだ。
窓の外に桃太郎が見える。

「なんだ。君もまたあの坊やか」
「悪いか?」
「彼のせいで振られるのはもう嫌なんだよ。まぁ君も女王も、契機があれ ばこっちに来てくれるって信じてるけどね」



兵部がまた後ろに飛んだ。
飛んだまま窓に手を突いて、にっこりと笑う。
手にした眼鏡をふって、賢木に挨拶をする。




「じゃあこれはお近づきの印にもらっていくから。今度は色よい返事を聞 かせてくれるといいな」
「……出来れば、二人きりはご遠慮願いたいね」

言うが早いが兵部は窓の外に消えた。
窓の外に移動して、もう一度だけ手を振ってぱっと姿を消す。

賢木は目の前がちかちかして、一気に疲労が体を支配する。
座ったままではあるが、もう指の先も動かせないような気がした。





残る温もりが、賢木の口を曲げた。



「……皆本よぉ、強敵だぜ…?」

もう一度来られたら自分はまだここにいられるだろうか。
いられてもその次は?更にその次は?

いつかその手を取ってしまいそうな自分を嘲笑しながら、コーヒーを入れ るために気合いを入れて立ち上がる。



大丈夫。
彼がいてくれるなら、ここに自分もいられるはずだから。











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兵部+賢木先生。
時間的には薫ちゃん戦線離脱少し前ぐらいで…。
賢木先生なら何度かパンドラにスカウトされててもよくなくなーい?を形 にしてみました。
本当はもっと前からちょくちょく、と思ってたんですけど兵部が脱獄して ないんですよね…。
ああでも実体じゃなきゃありか。そっちも今度書いてみたいです。
つかなんでうちの賢木先生はこんなに皆本に片思いなのか。
読んじゃえばわかるんだけどね。それはしないからね。怖いからね。
PlaceboEffectは皆賢を全力で応援しています。

賢木先生の能力は相当使い勝手があると思うんですよねー。
サイコメトリーと生体に関するサイコキネシス。
両方組み合わせれば(なくとも)廃人も簡単だろな…。
救えるからこそ逆も出来ると言うことで。
バベルの裏の仕事を皆本にも内緒でやっていそうです。

そんな賢木先生をちょっかいかけて、毒抜きしてあげればいいよ兵部さん 。
書いていて兵部京介の魅力に気づきました。本当にすごいな兵部さん…。
そういえば賢木先生に兵部さんをじーさん、と呼ばせられなかったのが心 残りです。(え)


08/05/10





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